みずたまのうそばかにっき

うそっぽいほんとや ほんとっぽいうそを かきとめる

こんきょのないじしんのそうしつ

さいきんおもうのですが、としをとるっていうのは、できていたことが できなくなっていくかていを いきることなのですよね。

それで、ほんとうに、できないことが ふえていくもので、できないじぶんを もくげきしては、ガクゼンとしたりしているわけです。

それが、きょねんの おおきなできごとのようなきがします。

たしかに、むすめが しにそうになったことがビッグワンニュースですが、それとおなじくらいのレベルで ショックナンバーワンなできごとでした。

あ、オレ、できなくなっていくんだ。

これにきづきはじめたところから、じしんも なくなってしまった。

やればできる。

だからとぶ。

みるまえに とべ。

これが、ざゆうのめい だったのですが、たぶん いま とんでしまったら、とびきれないでしょう。

じんせいをやりなおす とか、

めんどくさいから やめちゃう とか、

べつの たのしいこと みつけよう とか、

たぶん できないから、やらない。

いまの こんとんとした じょうきょうが、いやでいやでしかたなくても、

たのしめるように、くふうしてみよう という かんがえかたにシフトしているのです。

 

わたしらしくない。やだやだやだやだやだ。

 

でも、やっと へいぼんな せいかつがおくれるのかもしれません。