みずたまのうそばかにっき

うそっぽいほんとや ほんとっぽいうそを かきとめる

母親として母親を思う

娘が大学合格したわけだが、昨日娘が報告の電話してから、私の母親が気が狂ったように怒っているのである。
娘が合格した大学は、東北の大学なのだが、これが気に入らないらしい。雪が多いからダメだとか訳のわからないことをずっと言っている。そもそも、なんでそんな大学を受けたのかとか、そんな学科で勉強したところで就職がないとか、言いたい放題なのだ。
はっきり言って、どうかしてると思う。自分の価値基準にそぐわないコトを頭ごなしに否定してくるやり方は、閉口させる。
今日もまた、なんで東北に行くなんて大切なことをメールで言ってくるのか、こちらまで来て話せ、みたいに言われた。
何故、東北に引っ越すくらいで両親に報告に行かなきゃならないのか?
私は娘の母親だけど、本当に娘のことをサポートしたい気持ちしかない。こうなったらいいなと思うけど、結局娘のやりたいことはさせてあげている。
でも、私の母親は違うのだ。こうならなきゃいけない、できてないあなたは恥ずかしい、こんな気持ちがあふれている。私のやりたいことも結局諦めるように上手く操作されてしまった。やりたくないこともやらねばならないと操作された。本人は気づいていないのだろう。
母親として母親を思うとき、私はこのような母親にはなるまいと思う。
言いたいこといっぱいあるけど、母親には言わない。言っても分からないだろうし、お母さんはそんなことしてない!!!ってさぞかし怒るだろう。でもね、実際そうなんだから…
母親のことを思わないとき、とても自由でいられる。死ぬまでの一生を楽しみに思う。
でも、母親のことを思うとき、私の人生は行き止まりになるのだ。
それで、だから、私は、やっぱり、お母さんのことは考えないようにして生きる。見ないふりして生きる。