みずたまのうそばかにっき

うそっぽいほんとや ほんとっぽいうそを かきとめる

ろくでなし子さんって芸術家なのかぁとかおもったりするねんまつ・・・

むかしから、アートってものがわからなくて。

ひっそりとトリエンナーレのボランティアとかやってみたりしたこともあったけど、そうしても「すごいなぁ」とか おもえなかった。

「アート」ってなんなのかなぁとおもうと、あたまがボンッってなっちゃう。

たとえば、草間彌生さんみたいに、すきなことを すきなように ひょうげんするってことなのかなぁとおもって、それで、やっぱり草間彌生さんをみると「おおぅ」ってうなってしまうじぶんがいたりして、くぎづけにされてるじぶんがいたりして、こーゆうきもちにさせるのが、アーティストってやつなのですかい!とおもう。

わたしは、なんか「アート」とか「げーじゅつ」っていうのは、みたひとの きんせんがふるえる、とか、のうみそがぴきっとなるとか、なんか、ひとのココロをゆさぶるよなものだとおもう。

きのう、BSでやってたバリのぶようかのおどり をみたところだから、ますますそんなふうにおもう。

まぁ、「アート」と「げーじゅつ」がおなじものかは、おいておこう。

それで、ろくでなし子さんていうのは、芸術家っていうかたがきなのかな、デコまんとかやってるときは、芸術家みたいだけど、芸術家って、あーゆうことをするひとじゃない きがする。

なんか、あのひとは、活動家だとおもう。

だから、芸術家にあこがれているわたしとしては、芸術家となのっていることが、ちょっといやなかんじがする。

ってゆうか、じぶんのまんこをせっこうでかたとって3Dにするって、ただのへんたいじゃないかとおもう。

「へんたい」と「げーじゅつ」や「アート」っていうのには、おおきなさがあるとおもうけど、どうなんだろう。

もし、かりにへんたいだとして、じぶんのへんたいせいを そのままひょうげんしちゃったら、げーじゅつではないんではないの?

なつくらいに、たまたまのぞいたクラウドファンディングサイトで、デコまんボートのページをみたとき、なんかきもちわるくなって、それで、クラウドファンディングサイトってあやしいなぁっておもって、ほかの こうしょうなぼしゅうが、すべてウソくさくみえてしまうほど、くだらなくて、ださくて、きもちわるいこと におもった。

わたしのまわりのだんせいは、とてもたいしゅうてきな、げせわなおっさんなので、「そんなにじぶんのまんこをおとこにみせたいのかぁ」っていってて、「おいおい」っておもったけど、でも、そっちのほうが、ぜんぜんけんぜんでいいとおもった。

みせびらかしたいっておもうきもちのほうが、スンとなる。

たいほされるようなことじゃないとおもうけど、そういうことするの、おかあさんがかなしむから、ほんとにやめてほしいよという「つみ」があったら、たいほしてもらしたい。

そのくらい、わたしはきもちわるいへんたいだとおもう。