みずたまのうそばかにっき

うそっぽいほんとや ほんとっぽいうそを かきとめる

こんきょのないじしんのそうしつ

さいきんおもうのですが、としをとるっていうのは、できていたことが できなくなっていくかていを いきることなのですよね。

それで、ほんとうに、できないことが ふえていくもので、できないじぶんを もくげきしては、ガクゼンとしたりしているわけです。

それが、きょねんの おおきなできごとのようなきがします。

たしかに、むすめが しにそうになったことがビッグワンニュースですが、それとおなじくらいのレベルで ショックナンバーワンなできごとでした。

あ、オレ、できなくなっていくんだ。

これにきづきはじめたところから、じしんも なくなってしまった。

やればできる。

だからとぶ。

みるまえに とべ。

これが、ざゆうのめい だったのですが、たぶん いま とんでしまったら、とびきれないでしょう。

じんせいをやりなおす とか、

めんどくさいから やめちゃう とか、

べつの たのしいこと みつけよう とか、

たぶん できないから、やらない。

いまの こんとんとした じょうきょうが、いやでいやでしかたなくても、

たのしめるように、くふうしてみよう という かんがえかたにシフトしているのです。

 

わたしらしくない。やだやだやだやだやだ。

 

でも、やっと へいぼんな せいかつがおくれるのかもしれません。

 

 

バスルームのあのこ

シャワーをあびていると かんじる しせん。

ひさしぶりに あのこが おさきに みずあびを していました。

でも、なんだか とても ちいさくなっているのです。

このまえ みたときは、ずいぶん ふとっていたし、おおきかったようだけど。

それに、このまえなんて、かのじょまで つれてきていて、ひとのいえの シャワーを かってに かりているのに かのじょまで つれてくるなんて!と、すこし おこってやったくらい ふてぶてしい たいどであったのに、きょうは、おもいきり ひとりだし、しょんぼりと ちいさくなっています。

きっと、かのじょと なにか あったんでしょう。

もしかしたら、わかれてしまったのかもしれない。

それで、あんなふうに やつれてしまったんだ。

まったく、わるいやつには、ばちがあたる、かみさまも ただしいことを してくださいます。

はんせいしているのか、そのばから、いっこうに うごかず、かたくなに じっとしていました。

なんだか、すこし、ふびんにおもいましたけれど、おかまいなしに、さきに シャワーをおえました。

きっと、あしたも くるんでしょう。

あのこと わたしには、みえない あいちゃくが おたがいに あるみたいですから。

でも、めがない なめくじが どうやって しせんを おくってるんでしょうか。

すこしばかり、なぞですね。

きょう、おだじまたかしさん というひとの きじをよんだわけで

そのむかし、わたしは、さかのうえに すんでいて、そのさかは、ひじょうにけわしく、やまあり やまあり やまあり やまあり、かいだんあり、やまあり という あんばいであった。

わたしがこどものころすんでたところは、やまのふもとの いなかまちで、きたへすすめば のぼりざか、みなみへすすめば くだりざか、という あんばいであった。

 

わたしは、のぼりざかが だいきらいでありつつ、やまもなく、ただのっぺりとした この かんとうへいやが だいきらいである。

けれども、こどもは、さかのあるまちで そだつべきではないだろうか とさえ おもうのだ。

へいや では、つらいつらい のぼりざか のあとにある そうかいかんが、あじわえないので、がんばれば ごほうびがある という きぶんが もてない。

それに、やっとのおもいで のぼりざかを のぼったのに、くだりざかで スピードを あげすぎて おおけがをする という しっぱいも しないので、がんばっても おおきな だいしょうを せおうことも ある という わりと たいせつな おしえを みをもって たいけんできない。

また、ともだちのいえから ローラースケートで かえってみよう などと おもいつき、とちゅう、いつものみちが かなりの のぼりざかであることを かんじはじめたが、のぼりざかで つまさきだちしたら きっと うしろにたおれるであろう と、めまぐるしく かんがえつづけ、けっきょく、でんしんばしらに だきついた というような たんじかんで じぶんのあたまで かんがえて こたえをだし、こうどうする などという けいけんも できないので、あたまをつかわずに ばかに なってしまうとおもうのだ。

さかみち というのは、にんげんの あたまを よくするものなのだ。

 

そういうわけで、ベビーカーで どこにでも いけるひとは へいやそだちの ひとであると すいそくするのである。

よのなかが えいえんに たいらであると おもいこまなければ、タイヤのついたのりもので、ちいさいガキと でかけるなんてことは なかなか できないと、おもうのだ。

スケボーや ローラーブレードなら、すぐに かかえられるけれど、ガキと いくじグッズのはいった おもいかばんを かかえて、ベビーカーをたたむのは、ぶつりてきに むりなのだ。

たたまないで、ガキをのせたまま、ベビーカーをかついで、かいだんを のぼりおり しているひとを みたことがあるけれど、えきをでてから、10キロくらいも へいちを あるかなければならない とか、いま ベビーカーアスロンの れんしゅうちゅうなんです とか、とくべつな りゆうがないかぎり、あのような くぎょうは したくない。

 

そういうわけで、たぶん、でんしゃのなかに ガキいりベビーカーを のせてくる ひとが おおくいて、しゃかいもんだいに なってしまうのは、どの ちほう でも、へいやをはしっている でんしゃだと おもうのだ。

なつのおわりっぽい きょう

じっかをでて すうねんたった あるなつのひ。

わたしは、かぞくと じっかからは すこしはなれた となりまちのスーパーにいた。

スーパーのなかにある ははと こ をメインターゲットにしたのが バレバレのまちがっても 司馬遼太郎なんかは おいていない ほんやで たちよみをしていると、あんのじょう あいつがやってきた。

あいつがきたら、わたしは、すうふんかん、あいつと たいわをする。

 きたのか?

  ・・・。

 へんじが ものたりないな。むしむし。

  ・・・。・・・。・・・。やぁ。

 きょうのちょうしは どうだ?

  いいとおもいます。

ところが、あいつが おだやかであるのは ほんのすうふん。

そこからのあいつときたら、わたしのことを ほんろうしてばかりだ。

 おい!もうやめてくれ!

  なにいってんだよ。もうおわりだぜ。

 ま、まってくれ!いま、いいところなんだっ

  おいおい、おれも ずいぶん あまくみられたもんだな。

  まぁ、まってやってもいいぜ。

 お、ありがとう。あと、すこしだけな。

  はいはい。いいだろう。

  いーち、にー、さーん・・・・・・しごろくななはちくじゅーっっ!

 ちょ、ちょ、ちょっと。やめてくれたまえっ!

  ははは。びっくりしたか?

これは、だめだとおもった。いつものことながら、まったくもって ふゆかいだ。

はやく、はやく、はやく!

わたしは、そっとやさしく たちよみしていた ざっしをおき、いちもくさんに べんじょへかけこんだ。

すっきりしたきぶんで トイレからでたところで、なんと しょうがくせいのころのどうきゅうせいのユキにでくわした。

げんみつにいえば、ようちえん から ちゅうがく まで いっしょだったけど、よくあそんでいたのは、しょうがくせいのころ だった。

スポーツしょうじょの ユキは、スポーティなおねえさんに なっていた。

 ひさしぶり!

スポーティなひとの こざっぱりした イキのいい あいさつ。

わたしは、なんだか とても はずかしくなり、どうようしてしまった。

そのため、ひさしぶり とか げんきだった? とか かわらないねー などという ていれいのあいさつを すっかり わすれてしまった。

そして、なにをおもったか、いま、じぶんがトイレにいって なにをしてきたのか とか トイレにいくまでのすうふんかんの あいつとの やりとり とか そういったことを やばいことを かくしている あやしいひと のように きかんじゅうのように しゃべりたおしてしまった。

そして、

 どうして、たちよみしていると、あいつがくるんだろうねー?

と、ぎもんけいで はなしをおえてしまった。

それをきいて、ユキは、おどろくようすもなく、

 あいかわらず、うんこのはなし すきだね~

と、いいはなったのだった。

そして、またあいたいね とか いま、なにしてるん? とか おきまりのことばもなく、こざっぱりと たちさってしまったのだった。

わたしは、きょーれつな じせいモードになり、そのばに こおりついていた。

なんで、ひさしぶりにあった おさななじみに いきなり こんなはなしを してしまったのだろうか。

たちよみしていて、あいつがやってくることは、ふつうじゃなかったのかもしれない。

かのじょは、わたしの せいちょうしていない のうみそに にどと かかわりたくない きぶんに なってしまったのかもしれない。

だからこそ、あのように、こざっぱりと たちさってしまったのだ。

もんもんと じこはんせいしていた。

すると、はいごから ちちがあらわれ、

 おねえちゃんのはなしは ようりょうが つかめないね。

と、いった。

どうやら、ちかくのベンチにすわって、やりとりをみていたようなのだ。

そうかんがえると、ユキもまた、ようりょうがつかめなかったのか。

はなしのないようが、わからなかったのかも しれない。

それならば、よかった。ようりょうのえない はなしかた ばんざい!

そうおもったのも つかのま。

 で、けっきょく、うんこは でた?

 ふつう、たちよみしたって、うんこはでない。

 けっかをはなさないから、ユキちゃんも よくわからなかったとおもうよ。

それは、ふつうに、ぜんぶ りかいしているではないですか、おとうさん。

ユキは、けっかをはなさないから、ではなく、そのないように ひいたのだとおもうが、ちちは、わたしの はなしべたに ひとしきり だめだしした。

あるなつのひを おもいだした なつのおわり。

 

あいつがやってきた

きょうは、ひさしぶりに あいつがやってきた。

このまえあったばかりなのに、ひさしぶりのようなきがする。

ひさしぶりなのに、このまえあったようなきもする。

あいつは、べんじょで ようを たしているおれに こうささやいた。

うそばっかり いってんじゃねえよ。

くちぎたないことばで ののしった。

おれは、てきとうに ぱんつをはきながら、あいつのことばを はんすうした。

うそばっかりいってんじゃねえよ。うそばっかりいってんじゃねえよ。うそばかりいってんじゃ?うそばかいいてんじゃ?うそばかいいてえのか?

うん?

おれは、さいきんのおれに たりないものを おもった。

うそばかか・・・

べんじょのとびらを あけるときの おれは しごくはればれと していただろう。

なんといっても、いま、おれは、いま、おれのやるべきことに きがついたのだから。

せいきょうのちゅうもんを することよりも なによりも たいせつなことでは ないのか。

おれは、やってやることにした。

うそばかを。